fantasticのブログ

日々感じたことを、書いていきます

聴覚障害女児の「逸失利益」は、85%

聴覚障害のある、当時11歳の女児の遺族が

損害賠償を求めた裁判

争点の、被害者の将来得られるはずだった収入「逸失利益」は、労働者全体の平均賃金の

85%を元に算出すると、この27日判断された


聴覚障害のある、若い世代の大学進学率の

増加傾向や、音声認識アプリの普及などで

コミニケーション上の影響が

小さくなっていくと、みられることなどを

考慮すると

被害者が、将来働いていただろう頃には

平均賃金は、高くなると予測できる

としながらも

労働能力が、制限される程度には

障害があったことも、否定できないとして

大阪地裁の判決は

全労働者の、平均賃金85%だった


結局、聴覚障害者への、差別の容認の払拭は

されなかった

逸失利益率を減じている、15%の要因は

そもそも、社会の構造にあって

本来、被害者が負うべきものではない

聴覚障害者や、その他の障害者にとっての

暮らしやすい環境を備えるのは

社会全体の責務であり

障害を持って生まれてこなくても

人生の途上で、障害者になることはあるし

高齢者は、やがて障害者になっていく

障害者と健常者、そうくっきり区別できる

ものでもない


古い情報で恐縮だけれど

口唇口蓋裂のレベルを、障害のひとつと

数えると、5人にひとりは

私たちは、何らかの障害を含んでいると

書いてる本を、読んだことがある

つまりもう障害というよりは

個体差であり、違いであると言える

個体差や違いを、障害たらしめているのは

私たちの社会の状況である


被害者の少女は、口の動きで

相手の言うことを、理解できたそうで

それは、聴覚障害を持っていたからこそ

獲得できた、能力でもある

15%の差別が、どんなにナンセンスか


専門家でもないのに

エラそうなことは言えないけれど

私たちの個体差や違いは、生命を繋ぐ企みで

環境に適した個体を、常に探って

適応進化をしている、ということでもあると

理解している

ヒトの完全形というのは、イメージだけで

実際にはないのだ


多様性が言われる中、司法の場に

包容力がないことが、残念だ

また、国は少子化対策に

苦慮している筈なのに

司法の場に、哲学がないことも残念だ

安心して子どもを産み育て

安心して老いる社会でありたい


それに、損害賠償を請求される

加害者側も

実際に支払うのは、保険会社なわけで

逸失利益率が、加害者に影響を及ぼす

ものではない

すでに収監されている、加害者自身も

100%の逸失利益を、望んでいると思う

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