fantasticのブログ

日々感じたことを、書いていきます

手製の爆発物を投げた青年…

メディアの情報も

ここのところ、伝わってこないので

人物像が分からないけれど


総理の応援演説会場に

手製の爆発物を投げた、容疑者の24歳の青年は

穏やかそうな人物に、見えた…

彼は、昨年の秋、地元の市議会議員の報告会に参加、質問をしている

どういうやりとりがあったか

詳しくは、伝えられてないけれど

その時23歳の若者に対し、周りにいた

大人たちは、真摯に彼の質問に答えて

向き合ったただろうか?と、気になった

報告会が、殆ど支持者の地盤固めの

ようなものだったら

支持者でもなく、支持者になりそうもない

青年に、無関心で冷淡ではなかったのかと

(憶測だけれど)

残念な気がする


彼は、この時点では、政治と真剣に

向き合っていたのだと思う

参院選に立候補できないのは

違憲だと、裁判を起こして

棄却されてもいた

いずれも、真っ当な選挙民の行動であり

問題があったのは、今回のことだけだ

今回の出来事と、それまでの行動には

言われているように、乖離がある

行動はしたけれど

どうしようもない無力感と、理不尽さに

陥ってしまったのか

事件に至った心の軌跡は、これからの調べを

待つしかないけれど…


この事件があった直後

「民主主義の根幹を揺るがす暴挙…云々」の

声明を、与党の幹部が発表した

だが、このメッセージに、違和感を感じた方も

多いのではと思う


民主主義とは、その意志決定を

その構成員が行うことになっている

しかし、最近では、カジノを含むIRは、

反対者が多くても、開業を国は承認したし

オリパラも、反対者の方が多かったけれど

開催された

元総理の国葬も、反対が多かったけれど

強行した

万博は、唯一賛成者の方が多いということに

なっているけれど

反対意見を、ちゃんと確認しただろうか?

どれも、私たち一般国民の声は

届かないのである


容疑者の青年に限らず

無力感や虚無感を、一般国民が感じたとしても

不思議ではない

それを、暴力に訴えるのは

許されないけれど

それを実行してしまう者が

現れることは、想像に難くない

不満や不信の表し方には、人それぞれ

様々なレベルがある

(違法にベクトルが向かうこともあろう)

それを、警備の更なる強化だけで

安全を担保することは、難しい

要人だけでなく、一般聴衆への危険も当然ある


今回、総理は応援演説のために

現地に赴いていた

候補者の応援だったら

その候補者を、日頃応援している

地元の有権者の方が、相応しい気がする 

選挙の応援での、要人警護に

多くの手間ひまと、お金をかけるのは

どうなんだろう?

今回のことは、総理としての

必ずやらなければならない、タスクでもない


24歳の容疑者の青年に

社会の問題を、他者と話し合う機会の

蓄積が、もっとあったら

彼の認識も、洗練されて

また違った展開であったろうと、思う


と言っても、私たちの社会は

政治的な話題を好まない社会に

出来上がってはいるのだけれど

とても、フシギなことではあるけれど

地域の公民館などでも

政治と宗教が、テーマの場合

集まらない(れない)ことに

なっている(と思った)

現在でも、そうなんだろうか?

直近の公民館活動に、詳しくないので

間違っているかもしれない

間違っていたら、むしろ嬉しいけれど


つまり、住民は、ほぼ幼児の扱いなのだ

私たちの社会は、とても不健全な社会なのだ

大人が集まって、自分たちの国や地域のことを話さないで、何を話せというのだろう😆

そういう、社会の未熟さと、今回のことが

無関係ではないような気がする


そして、未熟さが好まれる

社会の構成員に、対して

投票だけは、しろと言う

考えることは、しなくていいけれど

とにかく、投票しろと言う

そうすると、どんなことが起こるか

とりあえず、よく目にする

候補者の名前を、書くことになる

その結果、これまでと状況が変わらない…

投票することに、意味を感じられなく

悪循環が起こるのだ


だから、投票したい候補者がいなければ

投票しなくても、いいのだ

自分の考えに近い候補者に

投票するのは、大いにアリだけれど

昔、そういう場合、白票で投票することも

あったけれど

この忙しい世の中

投票率のためだけなら、私たちが

そこまでガンバらなくていい

私たちに、思考停止にさせておいて

投票行動だけ、押し進めようとするのは

茶番だ

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