fantasticのブログ

日々感じたことを、書いていきます

「子ども政策」総理の記者会見

一昨日17日の夕方、こども・子育て政策の

総理の記者会見が、放送された

全ての子育て世帯を、切れ目なく支援する

幼児教育・保育サービスの強化

妊娠・出産支援の強化

貧困、障害・医療ケアが必要な家庭

ひとり親家庭への一層の支援、

どれも、大切だと思えることではあった


唯、いつも感じることではあるけれど

それより、前に

収入が少なく安定せず、結婚することや

子どもを、もうけることを

既に、諦めかけている層の現状を

どうにかしなければ

根本的な解決にならないような、気がする


子どもを産んで育てるのなら

サポートしましょうという

限定的なところに、国の対策が

停滞していては

子どもは、増えない気がする…


子どもたちは、私たちが

次世代を託す、存在であり

年金のシステムは、現役世代の保険料を

高齢者に給付する、世代間の支え合いに

なっている

このままだと、2055年には

高齢者を、1.3人が支えることになるらしい

少子化の対策は、急務というより

遅きに失してしまったけれど


結婚して、子どもを産み育て

自分たちのファミリーを、作りたい

そう、将来を描ける体力(経済力…)が

庶民?と言われる層には、今はないのだ

それにも増して

生後、自分たちの子どもが

幸せになれるような、気もしない…

貧困の連鎖は、現然としている

一発逆転もあるとしても

貧困を抜け出すには、私たちの社会体制だと

4世代を必要とするとか、書いてあったのを

読んだことがある

どなたの説か、存じ上げないけれど

腑には落ちる


障害を持って生まれた時に

適切なサポートを、受けられるだろうか

イジメを受けた時、学校や地域には

解決する力があるだろうか

戦争に反対でも

やっぱり、駆り出されるのだろうか

収入がなければ、丁寧に育てたつもりでも

犯罪に、食指が動くかもしれない

人生の最終章の、高齢者施設で

虐待に遭うかもしれない

一般国民や庶民は

自分の子どもたちの、ライフサイクルに

幸せなイメージが、持ちづらいのだ


子どもを、もつことは

社会的である前に、個人的なことであるから

産むか、産まないかは

個人が、決めることであるけれど

産み育てることのできる、社会の環境は

産もうと産むまいと

行政は、保障していかなければならない

フェアで包容力があり

希望が持てる、社会の中で

子どもの数は、緩やかに

結果的に、増えていくものだと思う

130棟の弾薬庫と、核攻撃に耐えられる基地の整備

2日の、参議院予算委員会でのこと

防衛大臣が、10年間に弾薬庫を

130棟程度整備し

その内の70棟程度を

2027年度までに、整備すると

野党議員の質疑に答える形で、明らかにした

また整備には、周辺施設と十分な距離を

確保するなど、安全面の配慮をすると

総理が釈明していた

この間、野党の質問に

仕方なく、イヤイヤ答えているのが

伝わってきた😉

なるべくなら、国民には

まだ、知られたくないことだったのだろう


日本全国に網羅された、130棟の弾薬庫に

敵は、当然攻撃してくる筈で

素人が考えても分かる、空恐ろしいことが

着々と進んでいるらしい

反撃能力の保有とは

戦争する国になったと、いうことなんですね

今さらだけれど


驚くというより、やっぱりと腑に落ちる

モヤっとした、反撃能力という言葉…

反撃で、終わる筈もないし

コロナワクチンの副作用を、副反応と

ガンコに言い続けたのに、似ている

それから、反撃能力は

敵基地攻撃能力の、言い換えらしいし


さらに、自衛隊の全国300ヵ所の基地施設を

核攻撃に耐えられるよう、整備するそうで

つまり、日本国中どこでも戦場になる

ということを想定して

昨年12月とこの2月には、ゼネコンに

発注案の話をしていることも

野党の追及で、明らかになった


その日の午後7時の

某公共放送?のニュースに

そのことは、どんな風に伝えられるのかと

注意していたけれど、スルー

かつては、ここの朝7時夕7時のニュースで

ざっくりと、今日一日が

分かることになっていたような

気がしたけれど…

本当のことや、重要なことを伝えないのは

一種ミスリードで、悪質


国民の命や、暮らしを守るために…

いつも、総理が仰っていることだけれど

自衛隊の基地施設を、核攻撃に耐えるように

整備するのだったら

一般国民の住居や、避難所も

それに準ずるものである、必要があり

こそこそ、自衛隊施設だけ

ゼネコンに、仕事を振っていれば

いいということではなく

国民に、ちゃんと伝えるべきでは


平和な時は、労働者(それはいいとして)

戦争の時は、個人の意思は関係なく

生命を投げ出せと、勝手に国民を

盾にしている

政権の中枢にいる者が

前線に赴くことはない

プーチンさんも、ゼレンスキーさんも

とりあえず無事だ


ウクライナもロシアも

一般国民は、羊のように

従順さだけを、期待されている

戦争に反対でもしようなら

逮捕されて、殺されかねない

反対しないで、戦争に生命を投げ出せと

一般国民の命は、政権からは

ことほど左様に軽いのだ

それはロシアに限らない

政治システマの違いに

関係なく、どこの民も同じだ


政権の思惑で、戦争を起こし

リスクは一般国民が負い

戦争ビジネスのメリットは

それ相応の人たちに


ウクライナに侵攻したロシア

時々小競り合いになりそうな、中国船

それだけで、日本が攻められると

国民を煽るのは、オカシイ

ウクライナとロシアは、外交に

失敗したのであり

もちろん、侵攻したロシアが、悪いけれど


日本は、NATOにくっついていれば

安心安全というだけでなく

全方位の、日本独自の外交に

知恵を絞って欲しい

地勢的に、海に守られてはいるけれど

ウクライナの人たちが

隣国ポーランドに

避難したようには、いかない

もちろん、避難できたのは

健康に恵まれ、渡航費が用意できた

人たちだけれど

聴覚障害女児の「逸失利益」は、85%

聴覚障害のある、当時11歳の女児の遺族が

損害賠償を求めた裁判

争点の、被害者の将来得られるはずだった収入「逸失利益」は、労働者全体の平均賃金の

85%を元に算出すると、この27日判断された


聴覚障害のある、若い世代の大学進学率の

増加傾向や、音声認識アプリの普及などで

コミニケーション上の影響が

小さくなっていくと、みられることなどを

考慮すると

被害者が、将来働いていただろう頃には

平均賃金は、高くなると予測できる

としながらも

労働能力が、制限される程度には

障害があったことも、否定できないとして

大阪地裁の判決は

全労働者の、平均賃金85%だった


結局、聴覚障害者への、差別の容認の払拭は

されなかった

逸失利益率を減じている、15%の要因は

そもそも、社会の構造にあって

本来、被害者が負うべきものではない

聴覚障害者や、その他の障害者にとっての

暮らしやすい環境を備えるのは

社会全体の責務であり

障害を持って生まれてこなくても

人生の途上で、障害者になることはあるし

高齢者は、やがて障害者になっていく

障害者と健常者、そうくっきり区別できる

ものでもない


古い情報で恐縮だけれど

口唇口蓋裂のレベルを、障害のひとつと

数えると、5人にひとりは

私たちは、何らかの障害を含んでいると

書いてる本を、読んだことがある

つまりもう障害というよりは

個体差であり、違いであると言える

個体差や違いを、障害たらしめているのは

私たちの社会の状況である


被害者の少女は、口の動きで

相手の言うことを、理解できたそうで

それは、聴覚障害を持っていたからこそ

獲得できた、能力でもある

15%の差別が、どんなにナンセンスか


専門家でもないのに

エラそうなことは言えないけれど

私たちの個体差や違いは、生命を繋ぐ企みで

環境に適した個体を、常に探って

適応進化をしている、ということでもあると

理解している

ヒトの完全形というのは、イメージだけで

実際にはないのだ


多様性が言われる中、司法の場に

包容力がないことが、残念だ

また、国は少子化対策に

苦慮している筈なのに

司法の場に、哲学がないことも残念だ

安心して子どもを産み育て

安心して老いる社会でありたい


それに、損害賠償を請求される

加害者側も

実際に支払うのは、保険会社なわけで

逸失利益率が、加害者に影響を及ぼす

ものではない

すでに収監されている、加害者自身も

100%の逸失利益を、望んでいると思う