元旦の年賀状は、楽しみではある
だがこの歳になると、
「お互い高齢になりましたので本年までに... 」という、最後の年賀状も届くようになる
確かに、私たちは終活真っ最中の年齢である
最後の年賀状の提案は、自ら老後のけじめを
つける、振る舞いだともいえる
最近、年賀状・葬儀の参列等々を、
高齢になったことを理由に、
取りやめる風潮がある
そして、それらは
「ひとくくり」のような気がする
故人の親族宛に届いた、年賀状の差出人に、
子供や孫は、親族の旅立ちを、
報告しなければならない
先方も、遺族に香典やお悔やみの書面等、
心遣いをする必要がある
高齢になれば、遅かれ早かれ人は逝く
それはごく自然なことで、
年賀状の交換がなければ、まだご存命かしら?と、たまに思いを馳せるだけで済む
自らの死後の諸々の煩わしさから、
子や孫を解放させることができるのだ
年賀状の交換を取り止めるのが、
いいか悪いかということでは勿論なく、
これは、世の中の流れである
今回のコロナ禍で、益々加速するだろう
自粛中、葬儀が簡素になって、
正直やれやれと思っている人たちは、
失礼ながら多いに違いない
葬儀は、故人のごく親しい人たちで、
行えばいいとは思うけれど、
賑やかに送りたいという人たちもいるから、
ひと其々ではあるが
テレビのある番組で、
参加者が喪服を着ない葬儀が、紹介されていた
テーマのある、パーティーといったところだ
葬儀も二極化するのかもしれない
身内だけの簡素な葬儀、あるいは費用を掛けたしかしながら、従来の葬儀とは違う
華やかな送る会…
ところで、年賀状を断ったけれど、
やっぱり寂しくて、復活したというのも聞いた
まだ、こちらから、年賀状の交換取り止めを
提案したことはないけれど
追々色々考えなくては、
いけないのかもしれない